コロナに感染して隔離されていたときのホテルの部屋

こんにちは、アジアン食器専門店サラヤシキの藤井です!
画像フォルダを漁っていて「ん?これどこのホテルだっけ?」と思ったら、2022年2月に私が新型コロナウィルスに感染して隔離されていたホテルでした。幸いあまり重症ではなかったのですが、やっぱり最初の2~3日はかなりしんどかったです。とにかく喉が痛かった!
当時はオミクロン株が主流になっていて、コロナ禍初期の頃に比べると感染に対する警戒心もどこか緩くなっていましたが、いざ陽性反応が出てみると結構ショックだったのを覚えています。
隔離措置は任意でしたが、家族にうつしてはいけないので自主的に大阪市が用意してくれたホテルで7日間の療養生活を送ることにしました。

当日、指定された時間に家の前まで車で迎えにきてくれたのには驚きました。車内は座席も天井もビニールで完全に覆われていて、運転手の方ともアクリル板で隔離されている徹底ぶり。ちなみにホテルでの手続きも、スタッフの方とのやりとりはすべてアクリル板越しでした。
引きこもり体質の私は、7日間を少しでも快適に過ごすためパソコンと食料を大量に持ち込み、到着とともにこのようなだらしない引きこもり部屋が完成したのでした。

コロナ療養中に無償提供された弁当

お弁当は毎日昼と夜に支給されます。朝はパンでした。部屋のスピーカーからお弁当の準備ができた連絡が入ると、各々が自分で1Fホールに取りに行く形式です。
このお弁当が意外とボリュームがあり、たまに味噌汁が付いていたりデザートのゼリーが付いていたりで、なかなか満足のいくものでした。当時はSNSなんかで「弁当がしょぼい!」という批判の声が多く見られましたが、無料で療養施設と薬と食事まで用意してもらってよくそんな偉そうなことが言えるものだと呆れたものです。
以下、記録のために撮っていたお弁当の写真です。

コロナ療養中に無料で支給された弁当
コロナに感染しホテルで隔離中に配られた弁当
コロナ療養中に支給された弁当

ご覧のように、なかなかバラエティ豊かで美味しいお弁当でしたよ。確かホテル到着時におかずの傾向をAかBかで選び、滞在中は2種類の弁当から自分が最初に選んだ方の弁当を常に取らなければならないルールがありました。療養中の身にとって食事は最大の楽しみなので、到着してイキナリAかBか決めるのは究極の選択でした。肝心の中身は忘れてしまいましたが、肉中心のメニューか魚中心のメニューか、とかそんな感じだったと思います。

今になって思い出すと、この滞在中には色々なことがありました。
思い返せば、私が愛してやまない海外ドラマ『ブレイキング・バッド』との出会いもこの療養期間中でした。
中でも一番大きなことは、私がホテルに入った翌日である2022年2月24日にロシア軍がウクライナに侵攻したこと。部屋にはもちろんテレビもパソコンもあるので、私は一日中そのニュースを追っていました。パンデミックという世界的な厄災の中、まさに自分も感染して隔離という初めての経験の最中に、大国ロシアが戦争を始めるというニュースは衝撃でした。今まさに歴史の狭間にいるのだと実感したのを覚えています。
今ではようやくコロナはインフルエンザのような扱いになり、コロナ禍は一旦終息した扱いになりましたが、ウクライナでの戦争は未だに続いていることに胸が痛みます。この戦争も一日も早く終息することを願うばかりです。

食品衛生法の検査を受けた安全なバッチャン焼き・セラドン焼きを販売するサラヤシキ
今になってコロナ療養生活(主に弁当)を振り返る
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